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TERUMO STORY エピソードで綴るテルモの歴史 SINCE1921

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下町の小さな工場からの出発
───創業期の工場の歴史

テルモの最初の工場は下町にあった

いまでこそ海外の関連企業を含めグループ全体で約1万5000人、最先端の医療機器メーカーとしてグローバル展開を進めるテルモですが、その歴史は下町の小さな工場から始まりました。

東京市本所区須崎町(現在の東京都墨田区向島4丁目、5丁目あたり)に、竹内英二が経営する「竹内製作所」という小さな会社がありました。平屋1戸、2階建て1戸の小さな工場では、約20人の職工が体温計を製造していました。体温計の商品名は、社長の「英二」の名をとって「エイジー体温計」。ガラス製作所も兼ねたこの工場では、ガラス生地から管をひきあげ、これを工場1階で加工し、2階で水銀をつめる作業をしていました。

当時の体温計には、水銀が示す数値が見えにくいという欠点がありました。竹内製作所では、この欠点を改良するため、赤線芯入り着色体温計を発明するなど、当時としては高い技術力をもっていました。テルモの創業時の社名「赤線検温器株式会社」は、竹内製作所の発明した赤線入り着色体温計にちなんで付けられたものです。

向島から幡ヶ谷に工場を移す

初代社長、笹川三男三医学博士 初代社長、笹川三男三医学博士

しかし、竹内英二は資金繰りに行き詰まり、当時東京医師会会長の笹川三男三に相談し、援助を求めました。笹川博士は、医学界の重鎮であった北里柴三郎博士などの協力を得て、テルモの前身・赤線検温器株式会社を、1921(大正10)年9月17日に設立したのです。その際、竹内製作所の工場、製造技術、営業などの権利は、テルモの前身の会社に引き継がれたのです。

翌々年、より一層の技術力の向上をめざして、株式会社高千穂製作所(現・オリンパス株式会社)の計測部の業務を受け継ぎ、東京都豊多摩郡代々幡町にあった同社の幡ヶ谷工場の一部をテルモの工場として稼働させることになりました。ちょうどその頃、向島の工場が漏電により焼け落ちたため、幡ヶ谷工場を主工場として体温計の生産を続けることにしました。

この幡ヶ谷工場のあった場所は、現在の本社所在地(渋谷区幡ヶ谷2丁目44番1号)となっています。

 

創立当時の幡ヶ谷工場と従業員(全員仮装して花見に出かけるところ) 創立当時の幡ヶ谷工場と従業員
(全員仮装して花見に出かけるところ)

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